徳島県人会近畿連合会の沿革

公開日 2009年05月07日

戦    前
大正末期ごろ、「在阪徳島県人会」および「阿波会」が結成され、それぞれ性格に応じて県人相互の親睦と郷土との交歓を新年互礼会、年次総会、忘年会などを通じて実施してきた

昭和26年 5月
「近畿徳島県人会」発足、山本最純氏(センター興業株式会社・社長)会長に就任、会員約500人

昭和30年 1月
松村宇平氏(株式会社エッソスタンダード石油大阪発売所・社長)会長に就任

昭和32年 7月  
大阪市南区順慶町4−11に徳島ビル完成その3階に事務局を移す

昭和33年 5月
岡田勢一氏(株式会社岡田組・社長)会長に就任

昭和33年11月
大阪東区、西区、北区、福島区、天王寺区、浪速区にそれぞれ地区県人会が発足し、このため連合会組織が誕生し、名称を「大阪徳島県人会連合会」と改め、連合会長に岡田勢一氏就任 会員約800人

昭和35年 5月
「徳島県人会大阪連合会」と改称

昭和39年 5月
定期総会と「徳島県の夕べ」を県と共催で中之島中央公会堂で開催、以後、新年互礼会、5月の定期総会、秋季体育祭の年間3大行事の慣行を確立 会員約1,200人

昭和41年 5月
「徳島県の夕べ」を「春の集い」と改め、県と共催で定期総会を太閤園で開催 「徳島県人会近畿連合会」と改称

昭和41年 4月〜6月
明石・鳴門架橋促進のため、連合会の総力をあげて大阪市を中心に兵庫、京都、名古屋などにおいて各事業所、街頭など署名運動を展開、約26万余の署名を獲得

昭和41年 6月
鳴門神戸架橋促進署名簿を持って130人の陳情団上京佐藤総理をはじめ衆・参両院、関係各方面に陳情

昭和44年 6月
朝日多光氏(東洋紙業株式会社・社長)会長就任。岡田勢一前会長は名誉会長となる

昭和47年 1月
鳴門神戸架橋建設基金近畿地区協力会発足、架橋公団債券の消化に協力(毎年)

昭和47年 6月
発足20周年記念式典を兼ね、定期総会「春の集い」を太閤園において開催

昭和57年 2月
大阪市南区南船場3丁目9番10号に住居表示変更

昭和57年10月
発足30周年記念会員名簿の発行 会員約3,000人

昭和62年12月
徳島ビル建替えの間、仮事務所として大阪市東区南久宝寺町に移転

平成 元年 2月
大阪市中央区南久宝寺4丁目4番5号に住居表示変更

平成 元年12月
大阪市中央区南船場3丁目9番10号に新築された徳島ビル5階に移転

平成 3年 7月
会員の名簿発行 会員約4,000人

平成10年 4月
明石海峡大橋が完成し、神戸・淡路・鳴門自動車道全線開通

平成10年 8月
鳴門・神戸架橋建設基金近畿協力会を解散

平成12年11月
朝日多光会長が名誉会長となる(新会長が選任されるまでの間、副会長が輪番制で事にあたる)

平成13年 6月
50周年を迎えた

平成14年11月
後藤田義夫氏(医療法人杏和会会長)会長に就任

平成19年 8月
中谷嘉明氏(中谷嘉明税理士事務所所長)会長に就任

平成23年9月1日
創立60周年記念誌 発行

平成23年9月11日
創立60周年記念総会 開催

平成25年5月8日
木岡 清氏(堺徳島県人会会長)会長に就任